[INTRODUCTION]Sarut Hiro 廣川 輝雄

 

自分の持てるすべての技術を惜しみなく教え継ぐ、ある一人の熟練テーラーがいる。

廣川輝雄(ひろかわ てるお)、72歳。東京・蒲田にアトリエを構える廣川は、ここで仕立ての注文を受けながら若手を育てることに全力を注いでいる。この連載を企画した初めの頃から、1人目は廣川にお願いすることに決めていた。ご存知の方もいるかもしれないが、廣川は私のテーラリングの師匠なのだ。日頃の感謝を込めてという想いもあるが、それ以上に今はほとんど少なくなった”丁稚上がり”の仕立て職人の歴史をぜひ多くの方に知ってもらいたかった。メディアや書籍ではなかなか得られない、貴重な話であることはまちがいない。

 

 

 これはハッキリと断言できる。廣川に縫えない服はない。メンズ・レディースのスーツやコートはもちろんのこと、テイルコートやインバネスコート、さらには女性のドレスにいたるまで廣川は一人で縫い上げてしまう。もちろん、”縫ったことのない服”はあるかもしれないが、何にしても難もなく仕上げることだろう。

 廣川の仕事の速さには、目を見張るものがある。メンズのパンツはおよそ1日半、ジャケットは3日(30時間)で仕上げる。基本的には出来高制で一人の職人が仕上げる工数に限りがある手仕事の世界。生き残るためには、自分の仕事のクオリティを維持しつつ生産効率を上げることが何より重要なのである。丁稚時代の少年・廣川がどのような修業をしたのか、特にこれからテーラーを志す方にはぜひ読んでほしい。

 

 

 

 蒲田のアトリエでは、型紙から縫製、フィッティングまでテーラリングのすべてを学ぶことができる。授業は基本的に朝10時から夕方5時まで。どこからか廣川の高いテーラリング技術を聞きつけ、「仕立ての技術を教わりたい」「弟子にしてほしい」と門を叩いてくる若者が今も後を絶えない。もちろん、私もそのうちの1人だった。廣川の元を巣立っていった教え子たちは一体何人いるのだろう。年に数回、廣川自身が呼びかけて開かれる飲みの席には、今でも20数名の教え子たちが集まる。皆それぞれの道に進み、中にはテーラーとして独立し店を持つ者、海外に修業に出た者、ファッションデザイナーやパタンナーとして活躍する者と様々だ。こうして教え子たちが忙しい中でこのように集まるのも、廣川の人徳があってこそ。スマホとタブレットを2台持ち。100㎞のウォーキング大会に毎年チャレンジするなど、70代とは思えないバイタリティにはいつも驚かされる。「いつも若いやつらに囲まれてるから、自分が歳を取ったなんて全然感じないよ」これが廣川の口グセだ。

 

 

 つい最近のことだが、今月4月6日、台東区寿にメンズテーラリングを専門に学べる「東京洋服アカデミー」が開校した。ここは、フルハンドのテーラリングを勉強できる(直線のみミシン使用)めずらしい学校で、昼間の初級~中級向けコースと上級者向けの夜間(チケット制)コースがある。これまでテーラリングを学びたくても、”学校”としてちゃんと確立されたカリキュラムを持つ学びの場が存在しなかったというのがこの業界の実情だった。世の中の流れが変わりつつある現在、幸いにもスーツのオーダーメイド需要は勢いを増してきている。”本物”を学ぶという意味でも、価値のある場所になることを期待したい。

 

連載『アルチザンの軌跡』「Sarut Hiro  廣川 輝雄」、お楽しみに。

 

廣川 輝雄 PROFILE