会いたくなったとき、もう貴方はいない。〜茂木信三郎さん・柴田良三さんへの哀悼〜

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早いもので2017年もあと1ヶ月で幕引きになります。

ちょっと立ち止まって後ろをふり返ってみると、今年も私には素敵な人や場所とのかけがえのない出会いが沢山ありました。

会者定離。出会えば別れもやってくる。何事も始まれば終わるのが世の常です。その中でも「永遠の別れ」に直面すると、否が応でも人は立ち止まり自分の日々の行いや言動を思い返してしまうものです。

2017年は私にとって大きな別れが2つありました。どちらも短い間でしたがとてもお世話になった大御所の方々。ありがたいことにこんな私を可愛がってくださったのでした。

 

写真集『JAPANESE DANDY Monochrome』より

 

お一人は、マンズワイン社長 茂木信三郎さん。元キッコーマン執行役員でもいらっしゃいました。享年70歳、急性骨髄性白血病でした。

佇まいや所作に品があり、時々口になさる機知に飛んだユーモアが面白おかしくも彼の人柄の奥深さを想わせるとても素敵な紳士でした。「本もんのいい女になったね。きみは必ず成功するよ、まちがいない」とおっしゃってくださったのが冗談でもうれしかった。

長野・小諸にあるマンズワインのワイナリーに2回ほどお邪魔したときには自ら率先してワイナリーをご案内くださり、地下の秘密のVIPルームで存分にワインを楽しませていただきました。いつも右手に持ったワイングラスをクルクル回していた姿が目に焼きついて離れません。

 

小諸のマンズワインの地下ワインセラーにて茂木さんと

 

実はご病気が判明してから一時退院なさるまでの闘病生活中、ずっと私にLINEを送り続けてくださいました。看護師さんにジョークが通じなくて怒らせてしまった話や骨髄移植で血液型が変わったら性格も変わるかもしれない云々のお話など、8割型ジョークが飛び交う病状報告。そして、退院なさったときは「ささえてくれてありがと!」と元気いっぱいのメッセージ。

まさかその2ヶ月後に亡くなるとは考えもしなかった。もう二度とお会いできない。どうして会いに行かなかったのかと、後悔が止みません。LINEに残るメッセージのやり取りを見ると胸が痛い。もうこのメッセージの送り主はこの世にいないのです。自分の不甲斐のなさを心に抱えながら、感情をぶつける矛先も見つからずただ闇の中に立ちすくむような、そんな心境になります。

 

写真集『JAPANESE DANDY Monochrome』より

 

もうお一方は、アルファ・キュービック元代表取締役 柴田良三さん。 享年74歳でした。「柴田良三」のお名前は、まちがいなく日本のファッション史に刻まれることになるでしょう。ファッションブランドのライセンスビジネスなど多くのビジネスモデルを日本に初めて導入し、日本のファッション界の先陣を切って来た方でした。サン・ローランの服に感動した彼はサン・ローラン本人に直接会いに行き交渉を重ね、インポーターとして日本で初めて契約を締結。青山・外苑前に「サン=ローラン リヴ・ゴーシュ」の路面店をオープンし成功させたことは業界では有名なお話です。

 

 

間違いなく、ひとつの時代が終わった──柴田良三とアルファ・キュービックの時代 / GQ JAPAN https://gqjapan.jp/culture/celebrity/20141124/obituary-ryozo-shibata

 

実は長いことご病気と闘っていらして、何度も生死を彷徨いながらも奇跡の復活を遂げてきた方でした。お元気なときには、ご自宅にお邪魔して談笑したことも。しばらくお会いしないうちにまた入院なさったと連絡が入りました。お見舞いに行かなきゃと思いつつも、まだ大丈夫だろうと先延ばしにしてしまった自分が心から情けない。そのまま還らぬ人となってしまわれた。

「君はまだ若いのに、本当に面白い子だね」そう言いながら、伝説と云われる飯倉片町のイタリアン「chanti」を始め、当時圧倒的な人気を誇ったフランスのファッションブランド「renoma paris」をアルファ・キュービックが日本で展開したときの逸話など、古き良き時代のお話をいつでも聞かせてくれる優しい方でした。

私が当時のまま再現された「renoma paris」のメンズ仕立てのレディースジャケットを着てお見せしたときは、本当に本当に喜んでくださった。でも、もう今は何をお聞きすることも叶わないのです。

 

柴田さんが喜んでくださった「renoma paris」のジャケット

私の母は、私が4歳のときに突然亡くなりました。享年23歳。急性くも膜下出血でした。あまりに早すぎた永遠の別れ。私は母がいなくなった実感を得られないまま、”母は存在しないのが当たり前”という環境で育ちました。この21年間、祖母が母親代わりで大切に育ててくれたのです。

人はいつ会えなくなるかわからない。年齢なんて関係なく一瞬でいなくなってしまうのだと母の死をもってよく分かっていたはずなのに、それでもいざ行動には移せない。なんて愚かなのでしょう。何事も後悔しないように。そう考えて人生の選択を決めてきたつもりです。それでも人は、誰かの”最期”を前にすると必ず後悔してしまう。

最期を目前にして人生をふり返った時。人は、やって後悔したことよりもやらなくて後悔したことの方が圧倒的に多いのだとか。それなら今、そしてこれから何をするべきなのかは明白ですよね。

あなたには、会いたい人がいますか?家族や恋人、友だち、お世話になった人びと。どうか会えるときに会っておくことを忘れずに。「会いたい」「最近会ってないな」と少しでも頭を過ぎったのなら、すぐに会いに行った方がいい。不思議と直感って当たるものです。そして、時と場所を同じくする相手との今この瞬間を大切にしてくださいね。それは何より自分のために。

 

最後に、茂木さんと柴田さん、お二人のご冥福をお祈りいたします。